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昨日は80年も昔、僕の住んでいる町では
大地震が起きた日です。その地震が起きた日と
言う事で震災に関する資料を展示する催しが
行われていました。
僕の住んでいる町は昭和の大合併が行われる以前
この地方の一番の中心地でした。半径が5〜600m
の地に商店が密集する商業地でした。その中には運送屋が、
街の中心部を流れる川を利用した精錬工場、鉄工所、
下駄屋、洋服の仕立て屋、舶来雑貨の店、米屋、生糸商
織物工場、旅館、銀行・・・
そして町の外れには遊郭もありました。
呉服商などは10件以上あったのではないでしょうか?
小さな小さな街には商店がひしめく様に所狭しと
並んでおりました。ちなみに我が家はその当時、
呉服商を生業としておりました。
ある日、そんな小さな山間の商業地が一瞬のうちに壊滅的な
被害を被り、一面が焼け野原になってしまいました。
当然の事ですが我が家も焼けてなくなりました。
我が家の家族もこの時に沢山の方が亡くなられています。
しかしです。
その日、祖父は大阪へ仕入れに行っていました。
運良く地震に合わなかったので、生き延びる事が出来た
のです。これは単に祖父の命が助かったという事以上に
祖父がこの時、生きていなけれは父も僕も叔母も叔父も
この世にはいなかったという事です。
これを思ったときに身震いがしました。
直系のご先祖の誰かが1人欠けるだけで自分が
存在しえなくなるのです。たったの1人が欠けてもです。
ひょっとしたらご先祖に一番感謝しなくては
ならない事はご先祖が生きていてくれたという事
でなないかと思うのです。ひょっとしたら生きている
だけでも凄く意味のある事なのかもしれません。
その催しでは沢山のその当時の写真が
飾ってありました。そこで見たものの一つに
お母さんが子供を背負いながら『かいまき』を着ていました。
最近はめっきり見なくなりましたが簡単に説明しますと
着物とふとんの中間の様なものです。
写真を見ていただけるとわかりやすいかもしれませんね。(^^)
普段は『かいまき』の襟の開いていない部分を自分の身体に
乗せて寝ます。袖を通して寝るのではないのです。
使うと立体的になるので身体への添いがとてもいいです(^^)
(僕は最初袖を通して使うものだと思っていましたが・・・(^^;)
いざ、災難が起きた時に袖を通して身を守るために
使うそうです。防災頭巾の様な役目を果たします。
その一枚のモノクロ写真から80年の時の流れを感じました。
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